すっきりした部屋であまりゴミを出さずに暮らしたい

暮らしは小さくてもすっきりと、心はゴチャゴチャしてても大らかに

本棚:『田舎の紳士服店のモデルの妻』

かつて、爽やかで健やかで賢くて、一目見て、彼はいい、と思った夫は、うつだと診断され、会社を辞めて田舎へ帰ろうと思うと言った。ずっと東京で暮らしていくものだと思っていたのに。そして、田舎といっても、海や山がすぐそばにあるのでもなく、どこにでもある平凡な、売りのない町に梨々子は夫と幼い息子2人とともにやってきた。

 

小学2年の夏に、母の実家の近くから、父の実家の近くに引っ越して、都会の人から見たら、どっちもどっち、田舎じゃん!と言うと思うのですが、母から見たら、田舎に引っ越したという感じだったのかもしれないなと思います。小学校の謝恩会のとき、「引っ越してきたばかりの頃は、子どもが方言を使ったら注意していたのに、いつの間にか自分も方言を使いようになっていた」ということを母が話していたのを思い出しました。地元を離れてからの年数の方が長くなってしまったので、ふだん方言はでませんが(だからといってきれいな標準語ではないのでしょうが)、じゃあ、わたしは何者?って思ったり。都会に人や色々なものが集中しているけれど、実際は平凡な町の方が大多数だよね、と本書を読んで思いました。

子育ての経験がないので分かりませんが、我が子には普通であって欲しいと願うものなのでしょうか。両親ともに運動は苦手ではなかった(自称)ようですが、わたしは運動音痴。運動会の徒競走は、いつもビリ。そして恥ずかしいもんだから、笑ってゴール。親からしたら、万年ビリで、しかもヘラヘラしながら走ってる我が子はじれったかったことでしょう。何か聞かれても首を縦に振るか横に振るかで口数は少ないし。まぁ、もうちょっと愛想が良かったらね、というのは正直なところあるでしょうが、そういうところもすべて含めて、わたしらしいと思っている(諦めている?)ことでしょう。

ときに時間は残酷だなと思うこともありますが、時間が薬だと思うこともあります。時間が薬になるためには、ひとっ飛びで行くわけにはいかず、日々生きなければなりません。ただただ生きる日々に何かを見出そうとする必要はないのでしょう。

 

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